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温故知新の精神で、仏教のPRマネージャーに。青江覚峰×馬場正尊

三菱地所による有楽町エリアの再構築プロジェクト「Micro STARs Dev.(以降:micro)」が始動しました。microには、建築、編集、メディアアートなど、様々なジャンルの外部プロデューサー陣が参画しています。プロデューサー陣とコラボレーションしながら、まだ価値の定まりきらない(=micro な)人・アイディア・コト・モノ同士が交わり、磨かれていき、次の時代を担うベンチャーが生まれる仕組みを有楽町からつくり上げていくプロジェクトです。

その舞台として、2020年2月には「有楽町『SAAI Wonder Working Community』(以降:SAAI)」が誕生。ワークスペースにはとどまらない「ワーキングコミュニティ」として、多様な価値観を持った人が集いアイディアをカタチにするための会員制施設です。

新有楽町ビル10階の会員制コワーキングコミュニティ「SAAI」。画像提供:三菱地所株式会社

今回はプロデューサーの一員である馬場正尊が、microを多方面から盛り上げていくプロデューサーのみなさんを訪ねていくインタビューシリーズをお届けします。テーマは「ルーツ オブ クリエーション」。成長過程でどのようなことに影響を受けてきたのか。人生のターニングポイントはどこにあったのか。アイディアの源はどこにあるのか。プロデューサー陣のルーツを知ることで、新たなチャレンジのヒントを見つけることが狙いです。

第1回の古田秘馬さんに続き、今回は、浅草・湯島山緑泉寺 住職である青江覚峰さんのもとをお訪ねしました。青江さんといえば、アメリカのMBA留学を経て、仏教の魅力を伝えるウェブサイト「彼岸寺」や、料理僧としてブラインドレストラン「暗闇ごはん」を立ち上げるなど、お坊さんの枠を飛び越えたご経歴の持ち主。そんな青江さんの歩みから見えてきたのは、温故知新の精神で仏教の本質を伝えていく開拓者の姿でした。

青江覚峰さん プロフィール

1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。ブラインドレストラン「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー。ユニット「料理僧三人衆」の一人として講演会「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」などで料理をふるまう。著書に『人と組織が変わる 暗闇ごはん』『お寺ごはん』『サチのお寺ごはん(漫画監修)』など。

逃げていた仏教に救われた過去

馬場 SAAIの空間のテーマを「ルーツ・オブ・クリエーション」とし、プロデューサーの皆さんの仕事や思想のルーツについてお話をうかがっています。SAAIには、これから新しいことを生み出したい人たちが集まっているので、そのヒントや励みになったらという思いと、あまりにも興味深いプロデューサー陣なので、僕が純粋に話を聞きたいという思いもあります。青江さんはお寺で生まれ育ちながらも、そこから一旦離れていますよね。そういった人生の歩みから、ゆっくりお話を聞かせてもらえたらと思っています。

青江 子どもの頃から、ずっと家を継ぎたくないと思っていました。逃げたい一心で、20歳を過ぎて物理的にアメリカに逃げて、カリフォルニアでMBAをとろうとビジネスの勉強していたんです。そこで9.11の同時多発テロが起きました。何かを境に世の中が一瞬で変わってしまうことを目の当たりにして、ただ呆然としました。そして何かしなくてはいけない気持ちが漠然と湧き出てきた。でも何をすべきかまったく見えない。それは自分自身の存在意義や定義が不確かだからだと気がついたんです。

浅草・湯島山緑泉寺緑泉寺にてインタビューを行った。

青江 世の中が大きく揺すぶられる中で、自分のアイデンティティが不確かであることにただただ生きづらさを感じていました。人間って生きづらさを感じると内向的になって、平たく言うと凹むんですよね。近所にメキシコの移民の人がやっているバーがあって、そこに行くと「いろいろあるけど明るくいこうや!」という雰囲気。僕だけひとり暗い顔をして飲んでいると「お前は暗いからカルフォルニアにいるべきじゃない」なんて言われるんです。

例えば、日本では雨が降ると「あいにくの天気ですね」と言うじゃないですか。でもカルフォルニアでは、年間で圧倒的に晴れが多いから、雨は貴重な存在で虹も出るし、雨=ビューティフルなんですよ。ここでは考え方が根本的に違うと痛感していました。日本から逃げるようにして行った自由の国アメリカのカルフォルニアなのに、そこでも否定されちゃったら行くところがない。もう死んじゃおうか…とも考えていて。

でもどうせ死ぬなら、その前に全部投げ捨ててから死んでいこうと思いました。英語もマーケティングも勉強したけど、生きるのには必要ない。もっと言えば、国語、算数、理科、社会とか、後からついてきたものなんて全部いりません。そう考えて、最後に捨てられなかったものが、自分は日本人であるということでした。MBAのクラスメイトの中でも僕だけがこんなツルンとした顔をしていて、肌の色も言葉も、発想の原点も、自分はどこまでいっても日本人なんだと。

日本人って何だろう?と考えたとき、その文化的背景には神社や寺がある。ずっと食わず嫌いしていたけど、一回は食べて死なないと義理が立たないなと思ったんですよ。そこで当時やっていた仕事を全部辞めて、2004年頃に日本に戻ってきました。築地本願寺で勉強していたら、生きづらいとあれほど毎日口癖のように言っていたのに、気がつくと言わなくなっていた。もしかしたら仏教っておもしろいんじゃないかなと気がついたんです。

青江 お経って、ありがたい話がいっぱい載っていると思いきや、以外とそうでもないんですよ。例えば、世界史の教科書に載っている仏教の項目の主要人物として、ブッタに並んでナーガルジュナという人が出てきます。この人の話を書いたお経がありますが、読むとまあひどい。どんな人かというと、すごく頭のいい人で、人の話を聞いて理解するとすぐパクる。仲間を巻き込んで非道なことをして友達が殺されても自分はうまく逃げ回る。途中で悔い改めて出家しても、またそこで鼻高々になって調子にのって失敗する。それを何度も繰り返すんですね。それが、歴史の教科書の2番目に出てくる人。

それを見るとわかるのが、人間って結局ダメなんだよね、ということ。僕だけじゃなくて、2000年前から人間はなにも変わらなくて、みんな悩んだり失敗したり、ダメで当たり前なんだと思えたんです。

馬場 仏教が救いになったんですね。

青江 すごく楽になりましたね。そうやって仏教のおもしろさにはまっていったわけですが、そんな仏教の魅力が全然世の中に伝わっていないことに気が付いたんです。それならば自分が仏教をPRするプロデューサーになろうと、宗派を超えて仏教を発信する“インターネット寺院”として、まずはウェブサイト「彼岸寺」を立ち上げ、のちに料理僧として「暗闇ごはん」を始めていきました。

 

仏教を「料理」という手法で伝えていく

馬場 おそらくお坊さんは仕事ではなくて、生き方そのものなんだと思いますけど、料理僧となったことの発想のルーツはどのあたりにあるのでしょうか。

青江 明治時代のお坊さんで句仏聖人という方がいらっしゃるんですね。句仏聖人は、お坊さんとして俳句という手法で仏教を広く伝える活動をされました。もうひとり、同世代で同類の活動していたのが詩人の金子 みすゞ(みすず)さん。この方は、幼少期から足繁くお寺に通って、お坊さんの話を聞いてたくさんの素晴らしい詩を残していきました。例えば、極楽とはどんな所かを描いた「阿弥陀経」というお経があり、金子さんは極楽で花が咲く描写を受けて、「花の色はそれぞれでみな美しく優劣はない。みんなが違っていい」と手記のなかに書いて残しています。

このようにいいアイディアというのは、昔から変わらずずっと続いていると思うんです。でもそれを形にする手法はまだまだたくさんある。そこが僕の活動の原点です。本質を損なうことなく人々に広く仏教を届けるために、どんな手段があるのか考えたとき、ぼくの場合は料理でした。

馬場 おもしろいですね。なぜ料理だったのでしょうか。

青江 僕の母親は料理が得意で、小学校1年生の頃から手伝って一緒に料理をしていたので、自分にとって一番表現しやすいツールでした。料理ってすごくポテンシャルがあると思うんです。食事とは、どんな人でも1日複数回行う能動的な作業です。食べない人間はいない。だから料理というよりも“食べる”ことに意識を向けて何かをやってみたい。仏教に軸足を置いて、もう片方で食べることにリーチできたら、自分らしい手法になると思ったんです。

 

仏教におけるハードウェアなしの挑戦

馬場 料理という青江さんならではの手法を見つけ、そこからどのように「暗闇ごはん」が生まれたのでしょうか。

青江 まずはウェブメディア「彼岸寺」を立ち上げ、次にお寺でイベントを開催し、3番目には公園のように自由に使えるお寺カフェを始めました。つまり、顔は見えないけども一方的に多くにリーチできるウェブ発信、単発で密にコミュニケーションできるイベント、そしてお寺と一般の人が長く細くコミュニケーションをつなげていくカフェ、以上の3つの形態を完成させていきました。

イベントもカフェも、神谷町にある光明寺というお寺を借りてやりました。なぜならば、利便性が高く、箱としても大きいからです。そうすると「箱が良くないと人は来ないのか?」という疑問がわいてくるんですよ。

そこへのアンチテーゼとして生まれたのが「暗闇ごはん」です。暗い中でご飯を食べることで、食事と一対一で向き合えるのではないか。それを通して、我々は何を感じるか体験する企画です。暗闇ご飯では目をつぶるので、箱の大きさとか、古さも新しさもすべて無視できるんです。

馬場 なるほど。ハードウエアがなくて成り立つんだ。いきなりたどり着いているわけではなく、試行錯誤しながらだったのですね。

青江 ビジネス用語では、まずリリースして試行錯誤をしながら進めていくことをリーンスタートアップと言います(笑)。そうやってソフトとハードを分けて考えていく。例えば、みんなスマホを使いますが、スマホはただの入れ物です。中身のソフトが大事なのであって、中身をわかりやすく魅力的に伝えるために、グラフィックデザインなどのユーザーインターフェースがある。

ぼくは仏教でユーザーインターフェースをやるのがお坊さんの役割だと思っています。僕はお寺という箱(ハード)をつくることには興味がなくて、本質であるお経(ソフト)とユーザーと繋げていくことをちゃんとやっていこうと思ったんですよ。それが僕が思うお坊さん像です。

馬場 そうか、そのインターフェースのひとつとして料理をしているんですね。

クリエイティブな発想に必要なのは「遊び」

馬場 話を聞く中でふと思ったのですが、お坊さんの定義とは、どんなものなのでしょうか。なにをもってお坊さんというのだろう。

青江 お坊さんはお寺で修行をして、実技や試験を受けて合格すればなることができます。ただ、これは例え話ですが、お寺で修行しているとき、朝4時に起きてお経をあげてご飯をつくるのは楽なんですよ。みんなでやるから、修学旅行や部活の合宿のようなもので、キツくてもみんなと一緒だからできるんです。本当の勝負はその後で、自分のお寺に戻ってひとりで早起きしてお経をあげられるか。あげなくても、誰も見てないからバレないですよ。それをやるかやらないか考えて、自分なりの行動を起こしていく。それがお坊さんとして生きるという事なのかなと思うんですよね。

だから、お坊さんになるのは簡単だけど、あり続けるのはすごく難しい。どんなものでもそうだと思います。SAAIの企画の一番大切なところもそこかなって思うんですよね。ビジネスを立ち上げるのは簡単だけど、長く続けていくのは難しいですから。

馬場 お坊さんとは社会にとってどんな存在なのでしょうか。

青江 一言でいうと、僕は完全に“遊び”人だと思っています。遊びとは、プレイという楽しい遊びと、車のハンドルやブレーキにある動かしても車自体は動かない部分の遊びというダブルミーニングです。

今の世の中って、仕事を細かくどんどん線引きしていきますよね。例えば20年前はデザイナーといえばクリエイティブ全般みたいなイメージがあったけど、今は「デザイナーです」と言えば、ウェブ系ですか?プロダクト系?広告系?とか細かく聞かれますよね。それって社会の中の遊びがなくなっていっているのではないかと感じます。技術が革新していく自動車業界でも、いまだにハンドルやブレーキに遊びが備わっている。なぜなら遊びがないと危険なんですよね、きっと。

僕たちが子どもの頃は、わけのわからない大人が街にいっぱいいました。昼間からタンクトップ1枚でビール飲みながら道端で将棋とかやっているおじさんが「おーぃ、車来るぞ、危ないぞ」とか言ってくれた。だからそこらへんで安心して遊べたんですよね。それって社会の余裕の部分だと思うんですよ。そんな“遊び”の存在として最後まで許されるのが、お坊さんとか、宗教者なのかなと思うんです。

海外では、わけのわからないパフォマーが路上にいることがありますが、東京だと登録制になっていて、パフォマーはパフォーマンスをする人になってしまっている。なにをやっているのかよくわからないけど、どこにいても違和感があって、違和感のない人。お坊さんとはそういう存在だと思っています。どこにでも行けるし、どこに行っても常にアウェイ。

馬場 このユニホームは常にアウェイである証ですよね。どこに行っても浮きますもんね。

青江 そうなんです。お坊さんの衣って、白と黒じゃないですか、白はどんな色にでも染まる色で、誰とでも話しますよ、という意味。一方で黒は、私はお坊さんという仏教者なので、そこの信念は何者にも上書きされません、というメッセージ。一番弱い色であり一番強い色でもあるからこそ、両方合わせ持っているんです。

キーワードは「温故知新」。有楽町での新たな挑戦

馬場 SAAIでは、空間にプロデューサーのみなさんの「ルーツ オブ クリエーション」にまつわるアイテムを置いてもらおうと思っています。青江さんにご用意いただいたこちらは…?

青江 これは昭和に再発行された江戸時代の豆腐料理を100個集めたレシピ集です。変わり種のレシビばかりで、例えば昆布の出し汁に山椒を加え豆腐を入れて一日中煮るとか。こんな非効率で、どこにニーズがあるんだろう?という謎のレシピが延々と100個並んでいるんですよ。

馬場 これは興味深い本だなぁ。

江戸から伝わるレシピ本『豆腐百珍』など、古書の数々。昔ながらの製本であり、糸が切れたら自分で直すことができる。

青江 現代では考えられないような非効率的なつくり方やアイディアばかりですが、一方でめちゃくちゃクリエイティブで、それこそが余裕の部分、つまり“遊び”ですよね。本当の豊かさとはなにか、それがこの一冊の端々から伝わってくるんです。

僕のキーワードは「温故知新」です。句仏聖人が独自のスタイルで仏教を伝えていたように、昔から残る仏教からの学びを現代に合うスタイルにもう一回再編集して、今に伝わるものにしていく。いまの時代では世界に伝えることもできるし、それが日本の強みにもなって、世界がより良くなる次世代のキーワードになっていくかもしれない。有楽町のビジネス街という、お寺とはまったく違ったプラットホームで仏教の本質をつないでいく。そんな新しい挑戦に、すごくわくわくしています。

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